
いざ、ムゼオ・デ・マドラスへ
靴の5大メーカーのひとつに数えられ、今年、日本の靴業界で4社目となる100年企業の仲間入りを果たしたのが名古屋に拠点を置くマドラスだ。 1921年に亜細亜製靴の名で創業したマドラスは戦後イタリア最大の靴メーカー、バレンチノ・マドラス社と技術提携し、マッケイ製法の靴を日本に広めた立役者である(亜細亜製靴は1983年に社名をマドラスに変更し、1994年には世界のマドラスの商標権を取得した)。 すでに靴好きのあいだでは話題になっていたが、マドラスはその歴史を振り返る100周年特設サイトをオープンしている。これにあわせて名古屋市郊外の大口工場に開館したのがムゼオ・デ・マドラス。
ことごとく先陣を切ったメーカー
来場者はのっけから圧倒されるだろう。ミュージアムの入り口でぼくらを出迎えるのは全長1mに及ぼうかというローファーだ。1970年代に当時の職人が力をあわせてつくったそうで、10足分の革を裁断し、そのために削った木型に釣り込み、底付けしたという。職人の心意気と遊び心が伝わってくるオブジェである。 ミュージアムはヒストリーゾーン、クラフトマンシップゾーン、ショップゾーンという3つのゾーンで構成される。館内に足を踏み入れて驚いたのはことごとく先陣を切ってきたことだ。 民生靴(軍靴の対義語として誕生した呼称)の量産化に乗り出した日本最初のメーカーであり(同業のリーガルコーポレーションは陸軍、大塚製靴は海軍の靴づくりからはじまっている)、いち早くフラッグシップストアをオープンし(1930年、お膝元の名古屋に開店した〈アジアの靴〉が1号店)、国内にとどまらずミラノ、フィレンツェ、ビバリーヒルズといった国際都市に進出し、そしてマドラスイメージレディコンテストを開催した……熱気にあふれた時代の靴業界を牽引したメーカーならではの活躍ぶりである。 昭和時代に青春を送った人ならばテレビコマーシャルも素通りできない。ヒデとロザンナにはじまるイメージキャラクターは岡田真澄、高岡早紀、そしてチャーリー・シーンへとバトンが渡された。高岡早紀はマドラスイメージレディコンテストの第3回優勝者だった。 ムゼオ・デ・マドラスでは当時の貴重なアーカイブや資料、写真を通して100年の歴史が追体験できる。
April 18, 2021 at 07:40AM
https://news.yahoo.co.jp/articles/1917e1418cfeffeafc34c03756f4b3fdf46d5533
日本が誇るシューズメーカー「マドラス」 チャーリー・シーンも愛した靴の100年企業がミュージアムを開館(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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