外苑東通りを5分ほど下って右に折れると、六本木の喧騒が嘘のようにひっそりとした一角があらわれます。その地になじむように佇んでいるのが、グレンストック。キャッチコピーは、“町の靴屋”。オーナーを務める五宝賢太郎さんは腰の低いキャッチコピーを鵜呑みにすると後悔すること必至のシューメーカーです。 【画像】名品揃い! 五宝さんが手掛けたビスポークの靴たち 英国靴の本流
アッパーを触ってみてください。柔らかいのが おわかりになりますか。(目を見開いたぼくをみて、五宝さん、にんまりして)秘密は芯材にあります。このサンプル、サイドヴァンプという芯材を省いているんです。
ライトオンスと呼ぶコンストラクションで、イギリスはノーサンプトンの北、マーケット・ハーボローあたりではポピュラーなものです。マーケット・ハーボローはビスポークのアウトワーカーが軒を連ねる町です。かれらにいわせれば、芯材でガチガチに固めるのは量産仕様であり、ビスポークシューズは本来、こういうものだそうです。
半カラスの拭き漆(生漆を塗り、余分な漆を拭く、という作業を繰り返す技法)も かの地で学んだ技法ですね。 やるからには英国靴の本流をかたちにしたいと思っています。 ただ、それは先の楽しみにとっておいても いいかなって考えています。なぜならやりたいことがいっぱいあるからです。 自前のランドセル埼玉の蕨で創業したグレンストックは2015年、2号店を六本木に出しました。午前中は蕨の店でビスポークなど頭のつかう仕事を集中的にやって、昼前に六本木の店に入ると企業のディレクションやOEMをこなしつつ、お店にやってこられるお客さまの修理を受けています。 蕨は靴どころです。製靴業は日本有数の産地、浅草から日光街道を北上するように広まっていったんですが、その流れで蕨も靴の町として形成されました。某セレクトショップの靴修理をその創業から一貫して請け負ってきた職人も ここに工房を構えていました。 師匠の稲村有好はこの地で時代屋という修理屋を営んでいました。テレビで彼のことを知ったんですが、ちょっとすごい人でした。 師匠は軍靴で鳴らした根岸の稲村製靴の三代目として1941年に生まれました。幼少のエピソードを挙げるとすれば ランドセルですね。父親から手ほどきを受けた師匠は、小学校入学を前に自分でつくっちゃったそうです。偉人伝に出てきそうな話でしょ。 長じて誰もが知るブランドをいくつか立ち上げたあとは、サンプルメーカーや底付け、製甲の職人として活躍、60歳の年に それら外注仕事と二足のわらじで始めたのが時代屋でした。 弟子入りするまでも、そして弟子入りしてからも、その日々は筆舌には尽くしがたいものでしたが(笑)、ひとまずここでは置いておきます。 弟子入りして5年目のある日のことでした。師匠は白血病で倒れ、その10日後に亡くなりました。亡くなる直前、師匠はぼくにこういいました── 3年は時代屋をつづけろ。そっから先の屋号は好きにすればいい。五宝賢太郎として大きな仕事を残していけるようがんばれよ。
August 28, 2020 at 07:01PM
https://news.yahoo.co.jp/articles/54442b7471ac44bbc2986aecc04f602458864520
【靴職人のリアル】六本木に佇む「町の靴屋」グレンストックの場合(FORZA STYLE) - yahoo.co.jp
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